お怒りなのも無理はございません。ただ、今一度、冷静に物事を見つめていただき、ステイシー斎藤への苦情の前に、ステイシー斎藤について、おさらいしてみましょう。

ステイシー斎藤ってこんな人

ステイシー斎藤 ステイシー斎藤(Stacy Saito、本名:斎藤隆典)<プロフィール>農家(実は本業)愛知県北設楽郡設楽町出身。昭和47年1月17日生まれ
資格など・・・
									ECO検定(環境社会検定試験)合格「エコピープル」
									狩猟免許
									包装管理士
									英検(たぶん2級)
									書道(2級か3級くらい)
									スイミングスクール初級コース(1日目でリタイア)
									ゴルフデビュー戦で165をたたき、38人中38位入賞
									ゴルフ2戦目にしてノーボギー、ワンバーディ、ノーパーの快挙(?)を達成後、
									ゴルフは肌に合わないと、以来封印。
									2012年度「奥三河食彩フェスタしたら」で「焼きトマトリ」が準グランプリ獲得
好きなもの…「安田米」(清須ライスセンター製「あいちのかおり」)、ほの国ぐるめいど隊
									苦手なもの…バーベキュー(理由:飽きた)
									尊敬する人…斎藤和彦(炭焼き職人、親戚)
									憧れの人…鈴木美仁(田原ポークをつくる養豚儂人、G・ファーム代表)
									おいしい野菜をつくる人…宮本喜弘(通称:宮じい、喜美農園代表)
									将来の夢…豊橋百儂人のセンターに立つこと
									目標…まずは炭焼き界のハナタレになること
									座右の銘…くさったらタイじゃない
小学校時代【豊橋】5年生の時、校内作文コンクールで自作文(タイトル「愛犬サリー」)が学級代表次点に選ばれる(次点のため出展はされず)。5〜6年生にかけ、元気という理由だけで学級委員長歴多数。6年生の時、児童会で会計に就任。本人はそのつもりはないが、会長より態度が大きかったらしく、先生から「会計」らしくするよう度々注意される。
									中学校時代【豊橋】生徒会副会長に就任。児童会時代の反省(?)がまったく活かされず、目立ちすぎて会長より会長っぽく見られることもしばしば。サッカー部に入部し、指導者から将来を有望視されすべてのポジションを経験。点取り屋としてのプレッシャーも、鉄壁の守護神としての1点の重みもすべて体で感じ取り、結果的にどっちつかずの「迷プレイヤー」となった。
高校時代【豊橋】サッカー部での貴重な経験を活かし、硬式野球部に入部。案の定、1年時に退部。しかし、野球への情熱が冷めず、第2の野球人生を「ファミスタ」でスタート。卒業年時、ついに年間3,000試合を
達成。せこい技を連発し、あくまでも「勝ち」にこだわるそのスタイルを周囲から「ピノのバント以下」と揶揄された。後に、炭焼き界の先輩から「お前なんかハナタレ以下じゃ」とお叱りを受けることになるが、この頃すでにその片鱗はあった。
									大学時代【大阪】まだ野球への情熱は冷めず、「千里丘国際球場」(千里丘にある某バッティングセンター)にて、第1号バックスクリーン直撃ホームランを放ち、センセーショナルなデビューを果たす。茨木市のダイエー食品センタードラフト1位(逆指名)で青果部アルバイト勤務。たくさんの東三河の野菜を見て感動する。しかし、その後長い選手時代の無理がたたり、腰痛が悪化し球界を引退。
地元・大手自動車会社(ディーラー)時代【大阪】野球の道をあきらめ、満を持してサッカー部に返り咲く。チーム名は「ファイナルゴッズ」(豊橋市民リーグ所属)。初代主将に就任。
									地元・大手段ボール会社時代【豊橋】食レク委員長、営業一課課長を経て、ソフトボール同好会を設立。初代会長に就任。当時の同僚・芝崎さんの結婚式二次会に「出場」し、(俺にとっては)メインイベントのジャンケン大会で8連続勝利。見事優勝。周囲から「ここですべての運を使い切ったね」と笑われ、一応その場の空気を読んで笑顔でこたえるが、内心「マジやばい」と感じていた。
就農、段戸山三河炭やき塾への参画【設楽・豊橋】13年半勤務した段ボール会社を辞めたのは、尊敬する炭やき職人・斎藤和彦と、祖母の斎藤さと子の死、そして、東日本大震災がきっかけだった。
平成23年5月、起業に向けスタート。ところが、設楽町ではサル・シカ・イノシシによる畑への被害が深刻で、それを食止める為に自ら狩猟免許を取得し、戦う決心をする。しかし、この方法では限界を感じ、逆にそうした動物たちが食べない野菜を作ってみようと考え研究を始めた。そして辿り着いたのが、ニンニク、オクラ、シシトウ、ミョウガ、ショウガだった。それらを炭と木酢液を使った自然農法で栽培しようと試みた。 燃える炭
和彦が立ち上げた「三河炭やき塾」の後を継ぎ、新生「段戸山三河炭やき塾」として再スタートさせる。段戸山周辺のスギやヒノキの間伐材から炭をつくり、その炭を使って地元の優れた食材(農業王国の農畜産物など)を焼き商品化。
代表的な商品。焼きトマトリ:田原産トマトと三河産鶏肉の串焼き。詳しくはこちら。カルソターダ:田原産ネギの炭火焼き、スペインの伝統料理。ばらまきトリオ:田原産トマト、豊橋産うずら卵、豊橋産大葉をそれぞれ田原ポークのバラ肉で巻いた串焼き)。これら商品は、すべて移動販売車で各イベント会場へ持ち込み、販売。炭による遠赤外線効果で食材の中の中までしっかりと火が通り、また、炭焼きの香ばしさが会場周辺を包み込み、「行列ができる露店」として少しずつ浸透してきている。
焼きトマトリを販売する様子
ステイシー斎藤の由来。国際炭焼き協力会会長で、炭焼き界の大御所、杉浦銀次先生が唱える「炭焼きは地球を救う」という言葉はあまりに有名だが、「捨石になれ」も先生の口癖である。捨石になれ、ということ
は、自らの欲を捨て去り、後世のためだけに生きよ、という意味である。今のこの時代にこそ必要な考え方ではないか。その言葉に大きな衝撃と感銘を受けた斎藤隆典は、「捨石になれ」と仰った銀次先生の言葉どおり、「はい、今日からステイシーになります!」と宣言し、第二の人生をスタートさせるに至った。
段戸山の石碑
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